PROFILE
| 国籍・地域 | インド |
|---|---|
| 性別 | 男性 |
| 大学 | ナーグプル大学 |
| 学部 | 機械工学 |
| 内定先企業 | 電動パワーステアリング(EPS)システムを開発する大手自動車部品メーカー |
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日本で働く夢がかなった日
外国人として日本で初めて働くことは、私にとって長年の夢でした。日本でのキャリアを目指す多くの外国人がそうであるように、私が日本で働き、暮らすことに興味を持ったきっかけはアニメでした。『NARUTO -ナルト-』や『呪術廻戦』などの作品をとても楽しんでいました。しかし、それ以上に惹かれたのは日本の文化そのものです。日本の日常生活を実際に体験し、自分の目でこの国を見てみたいと思うようになりました。
そして2023年、ついにFAST OFFERを通じて日本企業から内定を獲得しました。その後まもなく大阪へ移り、社会人として初めての仕事をスタートしました。今振り返ってみても、人生における最も大きな決断の一つだったと感じています。
外国人の新卒社員として、日本でエンジニア職に就く
日本は、私にとって社会人生活を初めて経験する場所でした。
最初の数か月は、何もかもが新鮮で、毎日がとても楽しく感じられました。電車で通勤することも、仕事の後に食事へ行くことも、私にとっては特別な体験でした。週末が来るたびにまだ知らない場所を訪れるチャンスがあることもうれしかったです。
私は最初の3か月を「ハネムーン期」と呼んでいます。
しかし、その後、少しずつ現実が見えてきました。仕事は難しくなり、責任も増えていきました。そして、日本特有のコミュニケーションに適応することが、想像していた以上に難しいことだと気づいたのです。
日本で最初に就いた仕事は、機械設計エンジニアでした。高速で紙おむつを製造する機械の設計・開発に携わっていました。大学で学んだ機械設計の知識を、実際の製品開発に活かせることに大きなやりがいを感じていました。
主な業務は、2Dの機械図面の作成・修正や、産業用製造設備の開発支援などでした。この仕事を通じて、実務経験を積むと同時に、日本のエンジニアリング分野における技術基準や仕事の進め方について理解を深めることができました。
その後、私は電動パワーステアリング(EPS)システムを開発する大手自動車部品メーカーに転職しました。
入社して最初の数か月は、開発プロセスを学び、研修を受けながら技術文書の作成などを通じてチームをサポートしました。まだ業務を覚えている段階でしたが、専門性の高い仕事を任される前にしっかりと基礎を築けるように設計された研修制度は、とてもありがたいものでした。
振り返ってみると、どちらの仕事もエンジニアとして成長するために必要なステップでした。実務を通じて技術力を高めるだけでなく、日本のエンジニアリング業界で働くために必要な適応力も身につけることができました。
日本の職場に適応する。文化の違いと言葉にされないルール
日本で暮らすうえで最も難しいのは、日本語を習得することだと考える人は多いかもしれません。しかし、コミュニケーションは正しい文法や漢字を知っているだけでは成り立ちません。言葉の裏にある微妙なニュアンスを理解することも大切です。
私の経験では、日本語は「ハイコンテクストな言語」であるといえます。
以下、外国人として日本で初めてエンジニアの仕事に就いた私が、実際に働くなかで学んだ言葉にされにくいコミュニケーションのルールを紹介します。
1. 沈黙にも意味がある
私は、コミュニケーションは言葉だけで成り立つものではないと気づきました。つまり、沈黙にも意味があるのです。
最初の頃は、相手に質問しても黙ったままでいると、聞こえていなかったのだろうか、あるいは無視されているのだろうかと戸惑いました。
しかし、後になって、相手は答える前に慎重に考えていたのだと分かりました。
2. その場の空気を読む
入社して最初の週は、まだ任される仕事があまりありませんでした。そこで数日後、私は上司のところへ行き、何か手伝える仕事はないかと丁寧に尋ねました。
これは、母国であれば積極性があると評価される行動だったと思います。しかし、周囲の人たちは意外そうな顔をしていました。
後になって、仕事があれば上司のほうから声をかけてくれるので、何度も自分から仕事を求める必要はないのだと理解しました。私に必要だったのは、いつでも仕事に取りかかれる状態でいることでした。
こうした経験から、日本の職場では、言葉で説明するよりも、周囲の状況を観察することが重視される場面があることを学びました。
このことに関して、最初はストレスを感じましたが、次第に行動を起こす前に周囲の様子を読み取れるようになっていきました。
3. 効率よく伝える
日本の職場では、長い説明をするよりも、まず結論を伝えることが重視される場面があります。
自分の仕事について報告するときも、詳細なプロセスを説明する前に、初めに最終的な結果から伝えるようになりました。
大切なのは、たくさん話すことではなく、必要な情報を効率よく伝えることだったのです。
4. 日本のオフィスは静か
日本のオフィスが想像以上に静かなことにも驚きました。
同僚がすぐ目の前に座っているのに、直接話しかけるのではなく、Microsoft Teamsでメッセージを送ってやり取りすることもありました。ほんの数歩しか離れていないのに、です。
5. 日本語の勉強に終わりはない
外国人として働いていると、常に新しいことを学び続ける必要があります。
特に難しかったのは、漢字が多く使われた技術文書を読むことでした。また、日本語には発音がよく似ていても、意味がまったく異なる言葉がたくさんあります。ほんの少し発音を間違えただけで、伝えたいことと意味が大きく変わってしまう場合があります。
恥ずかしい思いをすることもありましたが、それも学習の一部でした。仕事を通じて経験を積むたびに、日本語も少しずつ上達していきました。
仕事以外の日本での暮らし
外国人として日本で初めてエンジニアの仕事に就くことは、私の挑戦の一部にすぎませんでした。
私は、初めて一人暮らしをする外国人として、日常生活のさまざまなことも自分で覚えていく必要がありました。家賃の支払い、ベジタリアン向けの食事探し、仕事と週末の旅行の両立。それらすべてが挑戦でした。
一つひとつの経験を通じて、自立心が育ち、自分に対する自信も深まっていきました。ここでは、仕事以外の生活で印象に残っていることを紹介します。
1.住まいを探す
アパートを選ぶなら、街の中心部から少し離れた場所に住むことをおすすめします。家賃を大幅に抑えられるうえ、電車での通勤にもそれほど不便を感じません。
私は小さめのアパートを選びました。掃除がしやすく、家賃も安いため、生活費を節約することができました。
2.ベジタリアンとして日本で暮らす
私はベジタリアンなので、費用を抑えるためにも、普段は自炊することが多いです。
幸い、大阪にはインドから食材を直接輸入しているインド食材店がいくつもあります。これには本当に助かりました。
ベジタリアンとして日本に移住する人には、自分の出身国の食材を扱う店を探すことをおすすめします。インドやインドネシアなど、どの国の出身であっても、慣れ親しんだ食材を輸入しているコミュニティやお店が見つかることがあります。
また、日本には思っている以上にヴィーガンやベジタリアン向けの飲食店があります。特に大都市では選択肢が豊富です。
3.週末に日本各地を巡る
大阪に住んでいたおかげで、旅行へ行くときはとても便利でした。
普段の週末には、京都や奈良など近隣の観光を訪れました。朝早く出発して一日中観光を楽しみ、夜には家に帰ることができました。
ゴールデンウィークなどの長期休暇には、さらに遠くまで足を延ばしました。
特にお気に入りの場所の一つが、天橋立です。美しい景色に囲まれてその場に立つと、仕事のストレスがすっと消えていくように感じました。また、広島や宮島にも足を運びました。
こうした旅行は、そもそもなぜ日本に来たかったのかを思い出させてくれました。翌日も仕事があるにも関わらず、午前2時や3時に帰宅することになったとしても、後悔したことはありません。
日本各地を巡ることは、日本で暮らすうえで最高の楽しみの一つになりました。
日本で初めての仕事に挑戦することをおすすめする?
もちろん!
外国人として日本で初めて働くなかで、さまざまな困難に直面しました。それでも、私は日本に来たことを後悔していません。
日本には、若いエンジニアが技術力を高め、国際的な経験を積むための素晴らしい機会があります。
ただし、文化の違いに備えておくことも大切だと思います。日本に来る前に、できる限り日本語を学んでおきましょう。コミュニケーションが間接的な表現で行われることもあると理解し、すべてのルールが丁寧に説明されるとは限らないことも知っておくとよいでしょう。周囲をよく観察し、まずは相手の話に耳を傾けることが大切です。
もし、日本行きの飛行機に初めて乗った頃の自分に一つだけアドバイスできるとしたら、「期待しすぎず、自分から与えることを大切にしてほしい」と伝えたいです。
周囲の人が自分のために何をしてくれるかを考えるよりも、相手を理解することに意識を向ければ、新しい環境にもずっと適応しやすくなります。
日本では、想像もしなかったような困難に直面することがあるかもしれません。しかし、学ぶ姿勢を持ち続ければ、日本で働くことは人生のなかでも特に価値のある経験の一つになるはずです。
私にとっても、日本でキャリアをスタートさせたことは、仕事の経験を積むだけでなく、人として成長するための大切な一章となりました。